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焼津のお祭り(牧田)

趣味

皆さんこんにちは。

静岡事務所の牧田です。

今日は、私の地元についてご紹介したいと思います。

私の地元焼津市は、静岡市の西隣に位置し、人口15万人弱の漁業で栄えた港町です。

焼津という地名は、日本武尊が東征の時、豪族の火攻めに際して、向かい火を放って窮地を脱した事により付けられたと言われています。

その、日本武尊を祀るのが、当地の焼津神社です。

毎年8月の12日、13日に、この焼津神社の例大祭が行われます。

焼津の人にとってこの日は一年の内で特別な日であり、誰もが楽しみにしている日です。

12日の朝、祭りは静かに始まります。

子供が生まれてから3年間、焼津神社と書かれた幟を奉納する「幟担ぎ」という行事が神社で行われます。

これは、生まれた子供が健やかに育ちますようにという祈りを込めてのものです。

そして、「幟担ぎ」に初めて訪れた子供には、「神ころがし」という神事が行われます。

これは、神社の世話役が二人で子供の手足を持ち、

掛け声と共に三回まわすものです。

大きな声で泣けば泣くほど、丈夫に育つと言われています。

夜になると、神社の拝殿で「お神楽祭」が行われます。

翌日の神輿渡行に際して神役を務める人たちが、神輿の前でお祓いを受けるものです。

神役は衣装を着、お付きの人は白装束に身を固め神社を訪れます。

そしてお祓いを受けます。

その中で、巫女さんが舞を披露するのですが、

その舞は神様だけに捧げられるものとして、拝殿の灯りが消された暗闇の中で行われます。

それが終わると、神役、お付きの人達は翌日に備え帰って行きます。

13日になると、朝から焼津の町は、白装束に身を固めた人たちで溢れています。

基本的に白装束を着ている人は、神役からお付きを頼まれた人達で、

背中に神役の役名と名前が書いてあるゼッケンを付けています。

そのゼッケンを見て、その人が誰のお付きとなっているのか分かる様になっています。

朝10時頃、いよいよ神輿が神社の拝殿から外に出されます。

神輿を担ぎたくてしょうがない人達は、その時神輿に殺到して大混乱となります。

暫く混乱が続き、それが収まると神社の片隅に納められ、

そこで渡行の無事を祈ったお祓いが行われます。

そして、神輿渡御が始まります。

神社を出た神輿は、南の御旅所、北の御旅所、魚市場の御旅所、

焼津の御旅所と焼津市内を巡って行きます。

朝10時に神社を出た神輿が、神社近くの焼津の御旅所に戻ってくるのは、

夜8時頃になります。

その頃になると、参加している人達は、もうくたくた状態です。

焼津の御旅所に神輿が納められると、そこで、「流鏑馬神事」と「御神子神事」

が行われます。

「御神子神事」と言うのは、一日神輿渡御で疲れた神様を癒す為、

「御神子」と言う神役が馬に乗って走ると言うものです。

この神役は、幼稚園児程の年齢の子が努め、大変かわいいものですが、

馬を手配したり、大勢のお付きの人を頼まなくてはならないので、

この神役を努める事は大変な事ですが、

焼津では大変ステイタスを得られるものです。

この神事が終わると、神輿は神社に戻り拝殿に納められる訳ですが、

神輿を担ぎ足りない人達がもっと担ぎたいと、神社の中で神輿を煽り続けます。

二時間ほど煽り続け、漸く神輿は納められ、焼津の熱い一日が終わります。

私も、中学、高校と祭りに参加してきましたが、その頃と比べると、

イベント的な要素が強まり、神事で有る事が少し薄れてきた様な気がします。

神輿は二階からは見ない、神輿の通る時は洗濯物はしまう、神役に対しては敬意を払う、

といった事も無くなり、大騒ぎするイベントとなってしまっている感じです。

これも時代の流れかなー、と思いつつ、

その陰で、焼津の古き良き文化を守ろうとしている人達も沢山いるのも

事実である事は間違い有りません。

メジャーなお祭りではなく、地方の小さいお祭りでは、少しずつ時代にあった形

に変化しながら受け継がれ行くものなのでしょう。

とは言え、神社の中で荒れ狂う神輿と、それを沈めようとする涼やかな笛の音は、

今でも大変風情のあるものであり、祭りが早く来ないかと思う気持ちは

変わるものではありません。

今年は曜日回りも良く、例年に増して盛り上がるのではないかと期待しています。

興味のある方は、是非焼津に訪れてみて下さい。 14日は花火もあります。