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パラダイムシフト(仲井)

突然ですが、歴史はお好きですか?

 

小学生のころからずっと気になっていたことがあります。

「どうして 蘇我氏 イコール 悪者 なのに、石舞台古墳は壊されないんだろう?」

・・・歴史が好きでない方はこの辺りで

      ごきげんよう、さようなら(笑)

 

近ごろ、歴史上「事実」とされていたことが見直されているようです。

縄文人は稲作りをしていたとか。

江戸幕府は1603年からではないとか。

 

では蘇我氏は? というと、

「自分が天皇になろうとした悪者だ」という図式が疑われています。

そもそも歴史の教科書は国史たる日本書紀に基づいているもので、

蘇我氏の悪いイメージもそこから来ているようです。

しかし、日本書紀も当時の権力に都合の良いように記録されたものであって、

中大兄皇子(後の中大兄皇子)の行いを正当化しようという意図が見えてきます。

 

当時、中国は隋から唐に勢力が変わり、朝鮮半島も情勢が大きく変わっています。

そんな中、蘇我氏はいち早く大陸の文化を取り入れることで

大和の国の守りを固めて国を強くしようとした急進派だったそうです。

これに対し、当時の中大兄皇子蘇我入鹿を暗殺した人)は保守派。

当然、ウマが合いません。

そのため、皇子は「蘇我氏 イコール 天皇を乗っ取ろうとした悪者」と図式化し、

入鹿を暗殺することで、歴史上の「事実」として自己を正当化した

というのが近時の有力説だそうです。

それを裏付ける事実として、

蘇我氏は隋の攻撃から天皇の住む都の守りを堅固したとか、

今でも蘇我入鹿の命日には付近の村で法要が営まれてとか。

 

似たような話で有名なのが、

桶狭間の戦いや、長篠の戦いも太平洋戦争下に大本営が勝手に作ったたお話

とされています。

 

そんな視点から奈良の石舞台古墳を訪れると、

違った息吹を感じ取ることができるかも。

石垣だけの戦国時代の城址からもつわものどもの情熱を感じたりします。

 

観光地になっている多くの人が訪れる史跡も好きですが、

石高三十万石くらい、こぢんまりとしたちいさな城下町を

気の向くままに旅したい今日この頃です。

 

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ちなみに、仲井は入鹿が暗殺された事件を「大化の改新」と習いました。

最近では続日本紀の記述から「乙巳の変」というとのことです。

 

「もういちど読む 山川 日本史」29頁