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ハンバーグ百景(仲井)

ハンバーグの頻度、さわやかのハンバーグは年数回、ブランシュのハンバーグも月1回くらゐ、ニクバルにいたつては、その頻度、週1回、まるで主食の白米を食べるやうな頻度で食べてゐる。
けれども、実際にお店で選ぶ料理は必ずしもハンバーグに限らず広く肉料理である。
と書くと肉好きのように思えるが、日ごろの食事は健康を気にして塩と油に注意々々の質素、脂と聞くとびくびくとするような有様である。むしろ肉ばかり食べていると身体が脂身を嫌よ嫌よ云わんばかりに錯覚するほど肉を食べたく無いこともある。

とはいえ、おいしいハンバーグを探すことは私の生活の一部となりつつもある。たとえば「京都」と聞くと和食を中心とした「京料理」を創造されると思ふ。しかし、京都の街を歩くと変わらぬ味の洋食屋や隠れ家的なリストランテが非常に多い。まことに油断できない街である。
観光本でよく紹介されている、洋食おがた、中勢以月(にくづき)、グリル生研会館、キッチンパパなど、それぞれのお店の味がありどこが一番と選ぶのはできない。むしろどこが一番でなくその日の気分で選ぶ、そのための選択肢を増やすことこそがハンバーグ好きになる最良の方法なのかも知れない。
ハンバーグだけでなくおよそ肉料理へと範囲を広げると、ビーフシチューやフライなど行つてみたいお店に出会い続けすべてを訪れることは不可能だと圧倒されてしまう。ふと訪れた一乗寺のグリルにんじんはカウンターで料理を待つ間ビールを飲んでいるだけで、地元の人に愛されている料理なんだなと、一見さんの自分でもほつとできる空間であつた。
京都には、ハンバーグがよく似合ふ。

地元の豊橋は外食業が盛んで人口の割にお店が非常に多く、市外在住の方から教えてもらうことで知るお店がよくある。豊橋に限らず、県内では名古屋や岡崎など、探せば探すほど美味しいお店は次々と見つかり、行つてみたいとの気持ちは尽きない。美味しいものを食べているときにシフクノトキを感じてしまうゆえに、お店を見つけるアンテナは常に張り続けていたいものである。

年に数回ではあるが、京都の街を歩いていて感じるのは、新しいことへの挑戦にあふれていることである。ぶれない信念を基本に新しいことを受け入れ次の伝統を作つていく、そんな街の力におののきながらもてくてくと歩いていると不思議と力をもらって帰ることができる。日本にハンバーグが入つてきたのは京都か東京か横浜か長崎か神戸かいずれか知らないけれども、きつと京都の街は肉料理をうまく受け入れてきたからこそ名物ともいえるハンバーグ店を生み出し続けているのだろう。そう思うと古き佳きもの新しいものが心地よく同居する京都にはハンバーグがよく似合つているのだと思ふ。

ハンバーグ。
頻度でいえばどこが多いか改めて考えてみると、コンビニ弁当とマクドナルドではないかと思い当たり、ふいに寂しさを感じる十月であつた。

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(蛇足)
文章の流れから店名は敬称略にしました。
ちょっとだけ太宰治をまねしてみました。